長原馬込遺跡(五十石馬込・成田市南三里塚字長原)
長原馬込遺跡は、県道62号線の「五十石」というバス停の所の道を東側に入って50mほどの所にある。この道を入るとすぐ右手に土手が見えてくる。左の図面の左側の三叉路がそのバス停の辺りである。ものの本では「五十石馬込」などと紹介しているので、五十石馬込なのではないかと思うのだが、御陵牧場に詳しい近所の人が「長原馬込だ」というので、ここでは長原馬込と紹介しておく。
長原馬込遺跡は城址ではない。馬込は中近世に野馬を追い込んで捕らえるために造られた施設である。しかし、そこには実に立派な土塁が残されている。まったく平地にあり、空堀がないという地形的なものを考えなければ、どうみても中世城館である。実際、現在、城館跡と呼ばれているものの中には、馬込遺構が、けっこう含まれているのではないかと思う。というようなこともあり、実際の馬込とはどのようなものかということをインターネット上でお知らせするためにこのページを作成した。城館跡を紹介するページは数あれど、馬込の遺構を紹介しているページはなさそうなので。
左に長原馬込の素面を掲載しておいた。現在この馬込は一部破壊れているが、かつては高さ2〜3mの土塁が取り囲む、3郭からなる施設である。
右の写真は、北側の道路に面した(図面の上側の)土塁である。高さは2mほどと、この方向ではあまり高くない。道路を作る際に一部削られているのかもしれない。この馬込のある所は比高20mほどの台地上であるが、周囲は平坦地となっていて、舌状台地先端に造る城館とは明らかに立地条件がちがう。

上の土塁の東側に少し入った所に土塁の切れ目があり、そこから内部に入ってみる。ここが3郭である。この土塁の切れは他の部分よりも幅が狭く、2m弱である。馬を追い込むためのものではなく、人が入るためのものであろう。いかにも城館の虎口という感じなのであるが、外側に堀の跡がない。ここで、空堀も付属していれば城館ということになろうが、その辺りが、城館と馬込の遺構を区別するためのポイントとなる。
写真の土塁は上の写真のものを内部から見た様子である。この郭内の広さは20m×30mほどである。

3郭から2郭方面を見たところ。両側に土塁があり、2郭との間に虎口を形成している。中央奥に見えるのは2郭の外側の土塁である。南側の部分の土塁はかなり破壊されてしまったらしく、部分的にしか残っていない。

2郭から1郭に向うところの虎口の土塁である。写真だとなんだかよく分からないが、虎口はとてもよく残っている。これだけの土塁を駆使した虎口は、ちょっとした城址に行かなければ見られないので、なんだかわくわくしてくる。しかし、ここは城址ではいのである。

1郭の虎口の土塁。写真ではなんということなく見えるが、高さは3mほどあり、枡形状にずっと、つながっている。写真ではうまく取れなかったので、お見せできないのが残念だ。城館だったら「かなり技巧的な造り」と解説されていることであろう。
さて、この馬込は近世に作られたものではないかという。馬込を描いた古図が残っているが、馬を捕まえるのは当時の人々にとって一種のレクレーションだったようで、土塁上にたくさんの人が鈴なりになり、見物しているのが見える。
この長原馬込は、立地的に城館ではないとはっきり分かるので、馬込だと認識できるが、当時馬込はあちこちにあったと思われ、城館との区別は難しいものもある。しかも、城館跡の土塁を馬込に転用していたものもたくさんあったらしいから話は余計にややこしくなる。
それにしても、ここの馬込はよく残っている。城館と間違えやすい馬込とはどんなものか見てみたい方は、一度訪ねて見ることをお勧めする。